| 天神社・六つ塚稲荷社 菅原町 菅原町は、通町の南で、川越街道筋に面し、元は大仙波新田と称した。菅原町の起こりは、町内に菅原道真を祀る「菅原神社」(天神社)があるからである。明治十さん年(一八八〇)には、同社の社務所が菅原学校となり開校している。現在の仙波小学校の前身である。この神社の南隣に、中院の末寺である妙善寺がある。当時の開祖は尊能和尚で、元和のころ(一六一五~二四)に創建された。天神社も尊能によって、同時期に勧請されたと伝えられているので、その起源は古く、今から約三六〇~三七〇年前になる。しかし、文政8年(一八二五)の火災で、創立当初の棟札及び古記は焼失している。現在の本殿は、新しく改修され、神明造りで、間口1間、奥行1間、建坪1坪で、拝殿は間口3間、奥行2間の6坪である。南に面し、その前をかつて天神前と称していた。 大仙波新田から菅原町に町名改称されたのは昭和37年(一九六二)8月1日である。 菅原町から川越駅に向かう角(現・朝日生命ビル)に六つ塚稲荷社があった。境内には塚があり、榎の老樹があった。天文16年(一五四七)の正月に創建された古社で、明治の末に菅原神社の境内に移建されている。かつて参覲交代の折り、川越城主の大名行列は、江戸に向かう時は、川越城から六っ塚稲荷社まで、隊伍を組み、槍を立てて供揃の行列で進んだのである。また反対に、江戸からの帰城の際は、ここまで略式道中で来て、六つ塚稲荷の前で大名行列を組み、通町をぬけて川越城の西大手門へと向かったのである。 川越の地誌『川越素麺』(一七四九年著)に「仙波新田は江戸よりの入口にして、百姓町人入込の所……次第に当所整備に従ひ、町並軒並年々営みの便も出来て繁昌す。元禄年中、松平美濃守(柳沢吉保)の領地となり、泊宿を仰付られ、それよりしばらくの間旅入宿ること一には江戸入に……一には足立郡浦和・蕨辺にありて、其辺の名主百姓が公事として川越に来る時、道程七、八里の所故是に泊宿をとれるなり」とある。柳沢吉保が城主のころ、三番町の足軽屋敷もでき、公事のため宿泊しなければならない一般の人々も増えたので、仙波新田に旅龍屋が並び建った。 菅原神社の入口に、開郷三百年の記念碑が建っており、このような由緒が記されている。なお、菅原町には、六つ塚稲荷社の前から妙善寺の前をぬけて、川越街道を横断し、仙波小学校の校内をさらにぬけて、浅間神社の西側を通り国道16号を突っきって、江戸沢の店の北側から川越街道の旧道で合流する鎌倉街道が通っていた。 |
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