| 中院 小仙波町5丁目 喜多院の山門から南へ向かうと、旧南院の小さくなった墓地を左手に見つつ、川越農業高校(現川越総合高校)の反対側に、どっしりとした古刹な山門がある。これが中院である。星野山無量寺は、中院を中心に南院と喜多院の三支院から構成されていた。中院の正称は古くから仏地院といった。正安3年(一三〇一)には関東における天台宗の教育機関の中心的位置にあって、584寺の本山として指導的地位にあった。このように永禄(一五五八~七〇)頃までは広く関東の天台教学の中心的存在として極めて繁栄し、無量寺中、最高の位置にあった。 しかし、天正16年二五八八)、天海が喜多院に来て中興し、また家康が関東に入国するに及んで、その厚遇を受けると、喜多院は非常に発展した。これにより中院は喜多院の傘下に属したが、旧例により関東八箇檀林の一つとしての寺格を維持した。 寺領は喜多院の五〇〇石のうちから三〇石が配分されていた。庭は、しだれ桜をはじめとしてよく手入れされ美観をそなえている。喜多院とちがった峻厳な趣と静けさがあり、なにか落着いた気分を誘ってくれる寺である。 中院の墓地の入口に近い一角に、太陽寺盛胤一族の墓の案内板が目にうつるが、そこにある三つの墓碑は盛胤とどのような関係があるのだろうか。盛胤は老中で、川越城主秋元涼朝の家老の一族といわれ、宝暦3年(一七五三)に川越の地誌である『多濃武之雁』を著している。その内容は、著者が武士であるため、侍屋敷や、武家に関する記述がくわしい。また城内、城下町の地誌、社寺の来歴、伝説、妖怪の話から、寺院の銅銘や有名な武士の墓碑について、さらに近郷の史跡について記述したものである。 川越市立図書館に大正6年の写本が収蔵されている。さてこの三つの墓碑のうち、向って右側の墓碑には、 享保七(一七二二)寅年五月廿五日 仁陽院圓空廓道居士 梅園院観室妙董大姉 延享三(一七四六)丙寅年二月八日 この墓碑の左側面に、仁陽院は俗名友右衛門盛昌とあり、武に長じ、性格は仁のある人であると記されている。この盛昌は、『多濃武之雁』の著者盛胤の祖父である。 盛昌は秋元喬知から五〇〇石を下賜された上級武士であった。父盛方も涼朝の代に御用入役を勤めている。盛方には4男I女の子があり、盛胤はその長男であったが、家督を4男の盛浮に譲っている。盛胤は幼少の頃から歴史を好み、特に川越の地誌に興味を持っていた。 明和4年(一七六七)秋元家が山形に転封すると太陽寺一族もこれに従っている。 中院の墓域には、太陽寺一族の墓地とともに釈迦堂の西南に、白い墓石がある。墓石の正面には、「蓮月不染乃墓」、裏面に「昭和十年五月廿日歿 加藤みき 七十三歳」と刻まれている。みきさんは、文豪島崎藤村の義母に当たる。そのため、戒名も藤村自身が名付け、墓石の字もすべて藤村の筆によるものである。 みきさんは、川越の生まれであるが、上京して、やがて京橋の開業医(産婦人科)浦島堅吉に嫁いだ。大正十二年の関東大震災を機に、堅吉は医院を閉鎖し、鎌倉へと転居している。2入の間には2男2女が儲けられた。浦島家の反対で、母方の加藤の姓を名乗ることとなった。長男・大一郎は、母と弟妹を伴って川越に帰り、黒門町(現・新富町)に「明仁堂病院」を開業している。 明仁堂病院を開業した長男の大一郎氏は、医業が多忙で過労により六十一歳(昭和二〇年)で他界している。妹の長女静子は藤村が編集している婦人雑誌『処女地』に、大正十一年(一九二二)見出され、以来次第に交わりを深くしていった。藤村は妻・冬子を亡くしてから四人の子どもを育て、二〇年近く独身で過ごしたが、子どもも成長したので、昭和三年(一九二九)静子を迎えて新家庭を築いた。時に藤村は五七歳、新妻は三三歳であった。 昭和十一年藤村は、世界ペンクラブの大会がアルゼンチンで開かれた際、静子夫入を同伴し、欧米旅行をしている。その時の2人の写真が、中院本堂の北の部屋に飾られている。この間の留守宅の宛名は、川越市黒門町加藤大一郎方にしていたことが、その挨拶状によって明らかである。この結婚生活の間に、大作『夜明け前』を完成させている。藤村は、『夜明け前』の執筆にあたって、川越の義母・加藤みきさんから、しばしば幕末から明治初期にかけての江戸から東京への変遷の思い出話を聞き、その描写の参考としていたことを遺族の方々は話されていた。 藤村は、川魚が好物で、川越を訪れると、きまって川島の落合橋のたもとにある「小沢屋」にゆき、舟を浮かべて、網打ちをしたり、釣りをして、自然を楽しんでいた。とった魚は料理をしてもらい一日のんびりと過ごしたという。今も小沢屋には藤村自筆の詩を書いた短冊や写真が保存されており、当主がなつかしみをこめて、思い出を語ってくれる。 藤村自筆の墓碑銘「蓮月不染の墓」は、近代文学史上の遺跡として、注目すべき文化財である。中院の庭園はよく整備されており春はしだれ桜、つつじ、あじさいなどの花が咲き、秋は紅葉が特に美しい。加藤家の茶室が中院の一隅に「不染亭」として、移築されている。 |
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