| 組屋敷 通町・南通町 松江町の南のクランク形に曲がる木戸際から、さらに南へと連なる川越街道沿いの町を「通町」という。足軽屋敷があったところで、「通組町」とも呼ばれていた。 同町内は一番町、二番町、三番町に区分されている。この町について、太陽寺盛胤の著『多濃武之雁』(宝暦3年=一七五三) では、「組町、世俗通町と言ふ。長さ七丁四五間、下松江町木戸より仙波新田境まで西側皆組屋敷左右合わせて、屋敷数百軒、一屋敷坪数八畝宛(約二四〇坪)、組二十軒置に九畝余(約二七〇坪)の屋敷一つ当てにあり、これは伊豆守殿(松平信綱)時代足軽一組二十人にて、一組ごとに屋敷を給はり、それに小頭一人宛差し置き候、其の小頭の屋敷地割なり。昔は一番町つき当りより、松郷木戸際まで、東側は仙波にて、西側ばかりが組屋敷なり。其の代地を大仙波村に出して是を引替へ、今は両側組屋敷となる」と記している。 川越街道の西側沿いに北から順に南ヘー番町が二七軒、二番町が二九軒、三番町が四〇軒へと増加し、三つの組屋敷は道を挟んで区切られている。 一、二番町は信綱の時からで、三番町は柳沢吉保(一六八八~一七〇二)の時に地割りし、創設された。また、八幡神社に通じる南北の道は、(現在の丸広デパートの裏通り) 一、二番町の間にあって、組屋敷の場所の多くは同デパートの敷地になってしまった。現在は交通量もきわめて激しく、にわかに変ぼうした地域である。しかし、心してたどれば、今でも往時の組屋敷の地割りの面影を偲ぶことができる。 |
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