こんにちは、孑度 哩です。辺りが明るくなり目覚めました。事務室と思ったところは、「プーケット日本人会」の事務所でした。この会は、相互の親睦と福祉の増進に取り組むとともに、子どもたちへの教育活動も行っているそうです。壁には、子どもたちの作品も掲示されていました。

こんにちは、孑度 哩です。辺りが明るくなり目覚めました。事務室と思ったところは、「プーケット日本人会」の事務所でした。この会は、相互の親睦と福祉の増進に取り組むとともに、子どもたちへの教育活動も行っているそうです。壁には、子どもたちの作品も掲示されていました。

こんにちは、孑度 哩です。ホテル前で山口さんの車に乗り、深夜の「逃避行」となりました。山口さんは、途中2つほどのホテルに寄り、何人かのお客の意向も聞いて回りました。結局、同乗したのは私一人。被害の様子や郷里のことなどの世間話をしているうちに、プーケットタウンに到着。深夜3時前だったと思います。事務室のような部屋に通され、パイプ椅子を何台か広げてベッドにし、夜明けまでひと眠りすることにしました。
(写真はイメージです)

こんにちは、孑度 哩です。時刻は午前1時過ぎ。ドアをたたく大きな音で目が覚めました。ドアの向こうから、日本語の大きな声が聞こえます。「『A&A』の山口です!」。「A&A」とは、私が航空券やホテルの手配を依頼していた旅行会社です。飛び起きドア越しに用件を聞くと、プーケットタウンまで送るとのこと。すぐに依頼し、身支度を整えてホテルを出発しました。

こんにちは、孑度 哩です。常夏の島とは言え少し冷えてきました。夜9時を回り、屋上に横たわる人もいますが、体力に自信がないので、部屋で休むことにしました。月明りを頼りにして部屋に到着。自宅から持ってきていた懐中電灯で辺りを照らして荷物を整理し、床に就きました。これ以上このホテルに留まることは難しいので、明日は、何としても、プーケットタウンに向かわなければなりません。

こんにちは、孑度 哩です。空腹は満たされましたが、屋上に留まることにしました。たくさんの人と一緒にいた方が安心だと思ったからです。でも辺りを見回すと、日本人は自分一人。英語以外の耳慣れない言語も聞こえてきます。すっかり日が暮れて、空には月が輝いていました。

こんにちは、孑度 哩です。屋上は人であふれていました。弁当は、いわゆるタイ風の幕の内弁当。いいえ、それだけではありません。ビール付きです。さすがに、ホテル提供の炊き出しは違います。まずは腹ごしらえ。空腹だったこともあり、なかなかの美味でした。
(おかずの中身は、イラストとは違います。これはイメージです。)

こんにちは、孑度 哩です。ホテルの従業員から、身振り手振りで食事の案内を受けました。屋上に弁当の用意があるとのことです。当座は途中で購入したバナナと部屋のペットボトルの水で凌ぎましたが、夕食は利用することにし、屋上に向かいました。写真は照明が消えた廊下

こんにちは、孑度 哩です。階段を上り始めたら、血の跡をみつけました。津波でけがをしたのでしょう。廊下は停電で真っ暗です。部屋に入り、ようやく落ち着くことができました。あとで分かったのですが、利用したホテルの鍵は手動式なので開きましたが、電動式の場合は開錠不能です。パスポートや着替えを手にすることができない人も少なくありませんでした。
(写真はホテルのレストランの惨状)

こんにちは、孑度 哩です。やっとホテルにたどり着きましたが、目を疑う惨状が広がっていました。自動車が横たわる入口。1階のレストランは、机も椅子も散らばり放題で、ガラスがあちこちに散乱。フロントで部屋の鍵を入手して、まずは部屋に。エレベーターがストップしているので、階段をのぼることになりました。

こんにちは、孑度 哩です。まずは昼食。しかし、すでにレストランは満席か閉店で、セブンイレブン(店の前も水が来た跡が残る)も閉まっていました。昼食どころではありません。しかたなく大通りを歩き始め、開いている店を探しました。ようやく八百屋をみつけ、身振り手振りでバナナを購入。そして、何とかホテル前まで戻ることができました。
