こんにちは、孑度 哩です。収容室(監獄)は展示室に変わっていました。鉄格子が当時をしのばせます。左のポスターは「センポ・スギハラ展」をしらせるもの。センポ・スギハラとは、杉原千畝のこと。彼は、センポと呼ばれていたそうです。チウネの発音は現地の人には難しく、音読みをしたのでしょう。

こんにちは、孑度 哩です。収容室(監獄)は展示室に変わっていました。鉄格子が当時をしのばせます。左のポスターは「センポ・スギハラ展」をしらせるもの。センポ・スギハラとは、杉原千畝のこと。彼は、センポと呼ばれていたそうです。チウネの発音は現地の人には難しく、音読みをしたのでしょう。

すっかり葉を落としたケヤキ並木の片隅の風景を絵にして見ました。なかなか思うように嗄れは樹木が着色できませんでした。

秋も深まり、秋の花があちこち見られますが、なかでも大きく目立つ花に皇帝ダリアがあります。我が家も例年ですと、今頃は花を咲かせるのですが、除草剤をあやまってまいたため枯れてしまいました。時々ですが犬の散歩で皇帝ダリアの花が咲いているのを見かけましたが、カメラを持っていなかったりして、なかなか写真にできませんでした。そこで本日(十一月十六日)、デジカメを用意して、池のそばの公園にでかけて写真におさめてきました。

こんにちは、孑度 哩です。収容所は、やはり高い塀で囲まれていました。監視塔にはサーチライトも設置されていました。この後、部屋の中に入りましたが、部屋と部屋をつなぐ通路は狭いトンネル。余談ですが、帰国後、通路の夢をみました。

近くの池に今年も冬のおとずれを知らせるようにかもがやってきています。すでに10月の半ば頃から見かけましたが、やっとびでおに撮影できました。ウェブの情報では、ここにやってきているのはマガモという種類のようです。マガモは北の国から9月ごろから日本列島の各地にやってきて、冬の間、つがいを形成し、春になると再び北の国にもどっていくそうです。繁殖期は4月から8月にかけてということです。マガモはもぐることはできずせいぜい水中に頭を突っ込み、水草の木や茎、貝などを食べるということです。そういえば、ビデオの中でニ羽のかもがつれだって泳いで時々顔を水面に入れたりしていましたが、何を食べているかはよくわかりませんでした。それにしても、冬の間つがいになり、春になると北へ旅立つなんてすてきですね。
娘が飼っているメダカです。今年の六月に知人からいただいた十二匹のメダカが。子供やら兄弟やら増えていって、今や六十匹をこえてしまいました。水槽を増やしたり、よその家にあげるなり大わらわです。暑い夏をきりぬけることかできたのですが、これからの冬の寒さが心配です。
ピンクの花は、ボケ、そして幻想的な黄緑の花はなんと菊です。ボケの名前の由来について以前ふれました。ボケの原産地は中国大陸で、日本には平安時代にもたらされたということです。菊の方は、野菊が日本に自生しているが、栽培種や園芸種は同じように奈良時代の末から中国からもたらされたようです。

こんにちは、孑度 哩です。杉原千畝はビザを書き続けましたが、それでもリトアニアを脱出できなかったユダヤ人が数多くいました。そして容所行きに…。リトアニアには収容所がいくつかあり、今は、当時を語る継ぐ博物館に生まれ変わっています。その一つを訪ねてみました。

何回か前にブログにとりあげたねこちゃんをモデルにして水彩画にしてみました。思いの他、時間がかかったのは背景のブロック塀がむずかしかったためです。近所の人がえさをやるとき、このねこは三番目にならぶということです。

こんにちは、孑度 哩です。千畝は、運命の日の光景を手記に綴っています。「忘れもしない1940年7月18日の早朝の事であった。…6時少し前。表通りに面した領事公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。で、私は急ぎカーテンの端の隙間から外をうかがうに、なんと、これはヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろの人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄り掛かって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った」写真は、当時の様子と執務室から撮影した領事館の門です。
