こんにちは、孑度 哩です。常夏の島とは言え少し冷えてきました。夜9時を回り、屋上に横たわる人もいますが、体力に自信がないので、部屋で休むことにしました。月明りを頼りにして部屋に到着。自宅から持ってきていた懐中電灯で辺りを照らして荷物を整理し、床に就きました。これ以上このホテルに留まることは難しいので、明日は、何としても、プーケットタウンに向かわなければなりません。

こんにちは、孑度 哩です。常夏の島とは言え少し冷えてきました。夜9時を回り、屋上に横たわる人もいますが、体力に自信がないので、部屋で休むことにしました。月明りを頼りにして部屋に到着。自宅から持ってきていた懐中電灯で辺りを照らして荷物を整理し、床に就きました。これ以上このホテルに留まることは難しいので、明日は、何としても、プーケットタウンに向かわなければなりません。

小さくうすいピンクの花は久留米つつじ、後ろにかすかにつぼみが見える花は、花菖蒲。ホームページ上で、久留米つつじについて調べてみました。なんと久留米藩(福岡県久留米市)の馬術指南の坂本元蔵という武士が久留米つつじの栽培をはじめたということです。元蔵は、しばしば城下をぬけだしては、種を採取しては、苗床にまいたがなかなかうまくいかなかったということです。ある日、自然にはえたコケの中につつじの芽が生えているを見つけたことにヒントを得て、コケまきという方法で、つつじの種をまいたところ見事成功したということです。コケまきというのが具体的にどんな方法なのかよくわかりませんが、たぶんコケの湿気がつつじの生育に適していたためにうまくいったのと思われます。それにしても、久留米藩の馬術指南というと、藩のお侍に馬の乗り方を教える先生です。そんな先生が、久留米つつじのような可愛らしい品種を開発したというのは、なんとも不思議な思いをしますね。久留米市では元蔵の意志をひきついで、次々と久留米つつじの品種をつくってきたということで、いまでは三百種類におよぶそうです。

ピンクの花はヤマツツジ、黄色い花は菊、紫の花はスターチス。ヤマツツジは日本の固有種で、北海道から九州に広く分布しています。ヤマツツジでめずらしいのは、春葉と夏葉という二種類の葉をつけるということです。春につき、秋に落ちる葉を春葉といい、夏から秋にかけてつき、一部冬をこす葉を夏葉といいます。どちらも落葉するのですが、一年中葉をつけるので、半落葉とよばれています。でも今ついているのはどちらの葉でしょうね。
一寸一言
国は、コロナ禍の最中、「子供庁」の設立を考えているということです。就学前の子供が保育園と幼稚園に管轄に異にしているというのを一元化したいというのもその理由の一つらしいのです。保育園に子供を行かせている奥さんがインタビューに答えて「保育園では学力はつけられない」と答えているのが気になりました。どうも育児を主とする保育園を幼稚園より低く見る固定的な考えがあるようですが、保育園には保育園の良さがあるのをそれなりに認めてほしいなと思いますが。

ピンクの花は、キンギョソウ。黄色い花は、ヤマブキ。このヤマブキは一重咲きらしく 五枚の花弁がありました。ところでヤマブキといえば、一輪の八重咲のヤマブキの花と太田(灌<rt>どうかん)の話を思い出されます。あるいはご存知の方もおられるかと思いますが、ここで簡単に紹介します。まず太田道灌は、どんな人かというと、室町時代の最後、戦国時代が始まる直前にあたる時代に生きた武将です。当時関東地方には、将軍家につながる古河公方と、北武蔵に勢力をもつ山内(やまのうち)上杉氏と南武蔵に勢力をはる扇谷(おおぎがやつ)上杉氏とがたがいに抗争しあっていました。道灌はその父太田(道真(どうしん)とともに扇谷上杉定正につかえました。扇谷上杉氏は一番勢力としては小さかったようですが、道真・道灌父子は、江戸城や河越(川越)城などを造るなど主人を上回る名声を得ました。道灌は主人定正にねたまれ、糟谷館(かすややかた)(今の神奈川県の伊勢原市)にまねかれ謀殺されてしまいました。その道灌が諸説あるようですが今の埼玉県越生町にやってきた時、にわか雨にあい、近くの農家におとずれたところ、その家の娘がヤマブキの花を差し出したというのです。道灌にとっては雨具として蓑などあれば借りたいと思ったのにと腹を立ったので、家来にそのことを話したところ、つぎのような歌が詠まれていることがわかったのである。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」つまりヤマブキの花は、特に八重咲のヤマブキは実をつけないことから、農家の娘としては、蓑をお貸しできない申し訳ない気持ちをヤマブキの花に託したのではないかと道灌は考えたようです。
