母の日がすぎましたが

手前のオレンジ色の花はすかしゆり、赤い花は、よくしられているカーネーション、そして葉はレンギョウ。カーネーションといえば母の日にカーネーションを贈る習慣が知られますが、母の日も、母の日にカーネーションを贈る習慣も、アメリカに起源をもっています。話は、アメリカ合衆国の南北戦争に始まります。ヴァージニア州に住むアン・マリー・リーヴス・ジャーヴィスという女性が地域の女性と力をあわせ、駐屯する兵士に衣食を補給したり、軍事キャンプで腸チフスと麻疹が発生した双方の負傷兵を看護したりした。そうした活動の際、彼女は、「母の仕事の日」と称したと言われる。彼女がなくなった後、その娘のアンナ・ジャービスが母親の偲ぶ会を、母親が日曜学校の教師をしていた教会で行い、参加してくれた生徒やその母親に、アンが好きだった白いカーネーションを贈ったということです。こうしたことを機に当時のウイルソン大統領に五月の第二日曜日を母の日にするというはたらきかけがおこなわれたことです。なお母の日が五月の第二日曜日に定められた国は多いようですが、なかにはスペインのように第一日曜日が母の日になっているとか、北欧の国は五月の最後の日曜日が母の日になっている国もあります。

 

逃避行

こんにちは、孑度 哩です。ホテル前で山口さんの車に乗り、深夜の「逃避行」となりました。山口さんは、途中2つほどのホテルに寄り、何人かのお客の意向も聞いて回りました。結局、同乗したのは私一人。被害の様子や郷里のことなどの世間話をしているうちに、プーケットタウンに到着。深夜3時前だったと思います。事務室のような部屋に通され、パイプ椅子を何台か広げてベッドにし、夜明けまでひと眠りすることにしました。
(写真はイメージです)

いつも見慣れた風景も

毎日のように犬の散歩で訪れる近所の神社の中心部を描きました。といってもわが家の犬は、神社の周りを何か落ちていないかとくんくん嗅ぎながら歩くので、ふだんはじっくり目にとめていないのてす。ブログにのせる記事が見つからないある日、改めて神社ま拝殿を中心とした建物を配置がおもしろかったので、絵にしてみました。

木漏れ日の中で見つけた

少し忙しい日が続いたこともあって、投稿できませんでした。そんなある日、犬と一緒に近くの公園を歩いていると、思いがけずきれいな光景が目にとまりました。木立の間を強い日の光が差し込んでいる様子がすばらしかったのです。これを水彩画にすればと取り組んでみたものの、なかなかうまくゆかず、失敗に失敗をかさねました。満足がいかないまま、ついに投稿してしまいました。

深夜の迎え

こんにちは、孑度 哩です。時刻は午前1時過ぎ。ドアをたたく大きな音で目が覚めました。ドアの向こうから、日本語の大きな声が聞こえます。「『A&A』の山口です!」。「A&A」とは、私が航空券やホテルの手配を依頼していた旅行会社です。飛び起きドア越しに用件を聞くと、プーケットタウンまで送るとのこと。すぐに依頼し、身支度を整えてホテルを出発しました。

懐中電灯

こんにちは、孑度 哩です。常夏の島とは言え少し冷えてきました。夜9時を回り、屋上に横たわる人もいますが、体力に自信がないので、部屋で休むことにしました。月明りを頼りにして部屋に到着。自宅から持ってきていた懐中電灯で辺りを照らして荷物を整理し、床に就きました。これ以上このホテルに留まることは難しいので、明日は、何としても、プーケットタウンに向かわなければなりません。

侍が生みの親

小さくうすいピンクの花は久留米つつじ、後ろにかすかにつぼみが見える花は、花菖蒲。ホームページ上で、久留米つつじについて調べてみました。なんと久留米藩(福岡県久留米市)の馬術指南の坂本元蔵という武士が久留米つつじの栽培をはじめたということです。元蔵は、しばしば城下をぬけだしては、種を採取しては、苗床にまいたがなかなかうまくいかなかったということです。ある日、自然にはえたコケの中につつじの芽が生えているを見つけたことにヒントを得て、コケまきという方法で、つつじの種をまいたところ見事成功したということです。コケまきというのが具体的にどんな方法なのかよくわかりませんが、たぶんコケの湿気がつつじの生育に適していたためにうまくいったのと思われます。それにしても、久留米藩の馬術指南というと、藩のお侍に馬の乗り方を教える先生です。そんな先生が、久留米つつじのような可愛らしい品種を開発したというのは、なんとも不思議な思いをしますね。久留米市では元蔵の意志をひきついで、次々と久留米つつじの品種をつくってきたということで、いまでは三百種類におよぶそうです。

春葉かな、それとも夏葉かな

ピンクの花はヤマツツジ、黄色い花は菊、紫の花はスターチス。ヤマツツジは日本の固有種で、北海道から九州に広く分布しています。ヤマツツジでめずらしいのは、春葉と夏葉という二種類の葉をつけるということです。春につき、秋に落ちる葉を春葉といい、夏から秋にかけてつき、一部冬をこす葉を夏葉といいます。どちらも落葉するのですが、一年中葉をつけるので、半落葉とよばれています。でも今ついているのはどちらの葉でしょうね。
一寸一言
国は、コロナ禍の最中、「子供庁」の設立を考えているということです。就学前の子供が保育園と幼稚園に管轄に異にしているというのを一元化したいというのもその理由の一つらしいのです。保育園に子供を行かせている奥さんがインタビューに答えて「保育園では学力はつけられない」と答えているのが気になりました。どうも育児を主とする保育園を幼稚園より低く見る固定的な考えがあるようですが、保育園には保育園の良さがあるのをそれなりに認めてほしいなと思いますが。

ヤマブキの花にたくして

ピンクの花は、キンギョソウ。黄色い花は、ヤマブキ。このヤマブキは一重咲きらしく 五枚の花弁がありました。ところでヤマブキといえば、一輪の八重咲のヤマブキの花と太田道灌(どうかん)の話を思い出されます。あるいはご存知の方もおられるかと思いますが、ここで簡単に紹介します。まず太田道灌は、どんな人かというと、室町時代の最後、戦国時代が始まる直前にあたる時代に生きた武将です。当時関東地方には、将軍家につながる古河公方と、北武蔵に勢力をもつ山内(やまのうち)上杉氏と南武蔵に勢力をはる扇谷(おおぎがやつ)上杉氏とがたがいに抗争しあっていました。道灌はその父太田(道真(どうしん)とともに扇谷上杉定正につかえました。扇谷上杉氏は一番勢力としては小さかったようですが、道真・道灌父子は、江戸城や河越(川越)城などを造るなど主人を上回る名声を得ました。道灌は主人定正にねたまれ、糟谷館(かすややかた)(今の神奈川県の伊勢原市)にまねかれ謀殺されてしまいました。その道灌が諸説あるようですが今の埼玉県越生町にやってきた時、にわか雨にあい、近くの農家におとずれたところ、その家の娘がヤマブキの花を差し出したというのです。道灌にとっては雨具として蓑などあれば借りたいと思ったのにと腹を立ったので、家来にそのことを話したところ、つぎのような歌が詠まれていることがわかったのである。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」つまりヤマブキの花は、特に八重咲のヤマブキは実をつけないことから、農家の娘としては、蓑をお貸しできない申し訳ない気持ちをヤマブキの花に託したのではないかと道灌は考えたようです。

 

花見に行きたくてもいけない人はどうぞ

コロナ禍で、花見に行きたくても行けない人もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな人にせめて雰囲気だけでも味わっていただきたいと思い、近所の桜を取り急ぎ撮影してきました。もちろん桜の名所に及ぶべくもないのですが、どうぞご覧になってください。