これでも豆の仲間です

色い花は、グラジオラス、左のすみに見える青紫に透き通った花はスイートピー、上方に伸びた白い花は、コデマリ。この三つの花のなかで豆の仲間の花があります。はたしてどの花でしょう。そうです、スイートピーという名前からわかるようにスィートなピ、すなわち甘い豆ですね。果たして甘い豆ができるかわかりませんが、まきひげをからみつかせて成長するということです。
おまけのコメント:原子力発電の稼働年数を四十年から、休止年数を含まないで六十年と改めた閣議決定を受けて、原子力規制委員会では、何の修正もなく、そのまま了承しました。しかし五人の委員のうち、一人は、「科学的技術的な新知見に基づくものではない」という理由で反対しました。結局多数決できめられてしまいましたが、自分の信念に基づいて意見を表明したことにエールを送りたいと思います。

寒さに強い花

手前のピンクの花はストック、後ろの白い花はコテマリ。ストックについていろいろ調べてみると、意外なことがわかりました。まず原産は南ヨーロッパでちぶん温かい方で育つのかと思うと、そうではなく、暑さに弱く、冬の寒さには強く、英語でしっかりした茎を意味するストックに由来しているそうです。どちらかというと可憐でひ弱な感じがするのに、秋に種をまくと、冬の花壇にきれいに花を咲かせてくれるということも意外です。日本には、江戸時代初期にやってきて、大正時代末には切り花として栽培されるようになったということです。コテマリも江戸時代初期に中国から渡来したそうで、観賞用として栽培されたそうです。

ハートは何のため

散歩の途中、畑のど真ん中にこんな物を見かけました。何に見えるでしょう。そうです。ハートの形に見えますが、一体何のためのためにこんな形を作ったのでしょう。だれか特定の人へのプロポーズのためか、それとも見かけた人が幸せな気持ちにさせるためでしょうか。いろいろと考えをめぐらしてみると、一瞬ですが一人ぼっちの散歩も楽しくなりました。

ネコヤナギはヤナギの仲間

黄色の花はチューリップ、白い花はネコヤナギ。ところでネコヤナギは北海道から九州まで広く分布し、呼び名が花穂が犬の尾に似ている所から「イヌコロ」「エノコロ」と呼ばれ、と呼ばれたり、ねこと結びついて「ネコネコ」とか「ネコジャラシ」と呼ばれたりさまざまな呼ばれ方をしています。東北地方では、「ベコ」とか「ベコベコ」と呼ばれているそうです。そうです、東北では牛のしっぽにむすびつけられているようです。こんなに様々に呼ばれているのは、身近に存在し、親しみをかんじているからでしょうね。ネコヤナギというのでもちろんヤナギの仲間で、ほかのヤナギ先立ち早めに花を咲かせるので、春の訪れを知らせてくれる樹木です。そこで頭の中を混乱させてくれたのは、俗に「ネコジャラシ」と呼ばれる「エノクログサ」の存在でした。子供の頃の記憶で思い出されるのは、ネコがじゃれつくのは、イネの仲間です。

冬の寒さに負けないで

冬の寒さもピークを迎えているようで、一人で行く朝夕の散歩もなまけがちになってしまいます。いつもは何の当てもなく散歩にでかけるのですが、その日だけは、少し楽しみをもって散歩にでかけました。バイパスのそばにある愛宕神社に沿ってロウバイが見事に咲いていたからです。

高くどこまでも続いている空

しばらく寝付けない日が続いて、この日も重たい足どりで散歩にでかけました。いつも午後の散歩は、橋をわたって田んぼの方に足を向けました。天気も恵まれ、風もなく気持ちがよかったので、思い切り頭上を見上げました。少し控え目な雲の他邪魔なものはひとつもなく、ふしぎと気持ちが落ち着きました。何の変哲もない空だったですが、気分がすっきりしました。

松竹梅がそろいました

手前の黄色い花が蝋梅(ろうばいょ。向かって左側が白梅。そしてその後ろがスイセン。一番後ろに見えるのが笹竹の葉と松の葉。さらに赤い実がセンリョウです。お正月の飾りつけにしては地味な感じもしますが、松竹梅が揃いました。スイセンと蠟梅は庭に咲いているものを利用しました。

新年明けましておめでとうございます

少し手間取ることができまして、あいさつが遅れまして申し訳ございません。今年一年皆様にとって良い年でありますように。元旦の日、初日の出を写真に収めようと意気込んでいましたが、寝坊してしまい、残念ながら、約三十分の太陽を近所の愛宕神社からとることができたので、つけ加えておきます。

百姓の天下物語禁止

江戸時代のはじめ、島原の乱といわれる農民の大一揆(実際には武士数十人ふくまれていたそうです)が起こりました。島原・天草のともよばれるキリスト教弾圧に抗して立ち上がった農民一揆がありました。10月末に勃発して翌年の2月末に終息したというからいかに大規模だったのかわかります。ところで、天草地方に隣接する熊本藩では、この乱が、自国の農民に波及するのをおそれ、つぎのような命令をだしたのです。「百姓に似あわざる天下物語、つかまつるまじき事」というものです。現代的に言いかえると「農民は、政治的な事柄についてあれこれと議論するのは身分上ふさわしくないのでやめるように」というぐらいの内容でしょうか。当時の熊本藩の為政者と、今の日本の政権担当者とよく似た志向をもっているように思います。日本中がワールドカップサッカーの熱狂につつまれている時に、国の行く末を閣議決定で決めててしまった岸田政権の姿勢が、江戸時代初めに農民に政治的な事柄に思いをいたさないようにした熊本藩の人々と同じように似ている気がします。専守防衛の今までの大原則を捨て、敵基地への攻撃能力を保有するということは、何を意味するでしょうか。太平洋戦争の火ぶたをきった日本軍の真珠湾攻撃を可能にすることではないでしょうか。日本軍が先制攻撃の成功の後、泥沼の敗戦の道につき進んだことはよく知られていることです。岸田内閣は、近未来の若者に今から七十数年前の日本のまちがった道を歩ませるつりなのでしょうか。

オルセーのレストラン

こんにちは、孑度 哩です。オルセー美術館のお目当ては、モネの「日傘の女」。澄んだ色と輝く光を堪能しました。堪能と言えば、併設レストランの白ワインもなかなかの味でした。当然高級ではありませんが、これも澄んだ味わいでした。もちろんガイドがすべてセットしてくれました。